2ヶ月で妊娠報告が早すぎではない世の中、いいよね。
妊娠2ヶ月で報告するのは早すぎ?というお話。私かよ、と思った。
私もこんなブログに毒を吐く日々を送るのではなく、心の底ではこの方みたく前向きな心情ではあります!
私も2ヶ月のときは、受付業務のくせにつわりが気になって、切ったパンやらアメを常に口に入れていた。
でも、2ヶ月だって、調子悪い。本当に思う。でも、会社というのは、休んだり体調悪いときに寛容ではない、と。(でも、そのとき私は派遣だったし、自分の業務を代わりにできる若い女性がいたので、結構休んでしまった)
それはもちろん、1分1秒でも気を抜かずに、会社に尽くすのは大切なことなのだけど。
会社生活総合的に見て、「この人、いてよかったな」と思ってもらえるくらいになるといいのかな。
いや、「ちょっと体調悪い」というときに、みんな遠慮なく休めばいいのか。
「妊娠してるから席を外す・休む」が許される世の中じゃなく、「体調悪いから席を外す・休む」が許されればいい。
でも、難しいのが、会社を休まない凡人と、会社を休む凡人がいたら、やっぱり、会社を休まない凡人のほうが評価されて然るべき!と思ってしまう。
もちろん、ピッタリ同じ能力の人もいないので、比較すること自体ナンセンスだとも思うけれど、とりあえずガンガン働ける兵隊の方がいいのではと思ってしまう。
その考えだと、健康状態が不安定な人や子育て中の人は絶対に評価されないし、働きにくいことになってしまう。それは厳しすぎだ。
でも、会社に余剰人員は基本ないし、誰かが休むと誰かにしわ寄せが来るのはわかる。
みんなが70%くらいの力で働いていればいいけれど。多くの人は120%で働いているだろう。
以前働いていた職場で、育休を取っていた女性に子供ができて再度産休・育休に入ったという報告をしたときの、上司の若干の落胆。
上司が用意した席にその女性は「座らなかった」と捉えるか、彼女にとっては「座れなかった」ということかもしれないけれど。
そして、お祝い事だからね、少子化対策にもなるからね。絶対に否定はできない。
しかし、その人がいなくても、なんとか仕事は回るのだ。
だから、体調が悪いときは休めばいい。みんな。
(頑張り過ぎちゃう人がいるから困る。)
(けれど、それで世界は回っている部分もあるから。でも、休んで。)
SNSへの出産報告が気色悪い
どんなSNSでこのおめでたい発表があるときは、美しく、未来を感じさせる言葉が連なる。
どんな素行で、学歴で、どんな道を歩んできた方々も、テンプレ通りの美しい出産報告。
その生まれた赤ちゃんに関わる家族・親戚、すべてが美しい言葉を奏でる。
その後、手がつけられない悪ガキになったとしても、このタイミングだけは美しい。
だからこそ、日常生活とのギャップがありすぎて、気色が悪い。
「チャリで来た」ような若者でも、普段は差別発言している老人も、すべてが聖人君子のようになる。
別にいいのです、自分の身の回りに起きた出来事を、今まで通りに書いているだけなので。
ただ、このタイミングだけ、「おりこう」過ぎてキモいだけなのです。
・・・なんて言っているけど、ただ、私が彼らを妬んでいるだけなのです。
今日もSNSで孫の誕生を報告した老人が(といっても、自分の親くらいの年齢)、うるさいな、と思っただけなのです。
多分、本当にうまくいっていない家族や、赤ちゃんに何かあった場合は、SNSに書き込まないだけで。
書き込むってことは母子ともに健康で、家族の関係に問題もなく幸せってことなのだろうな。
おめでとうございます。
許可降りず 続編
おととい、I婦人科に行って「排卵日だよ」と教えてもらったものの、夫がダメだった。
昨日、「ワンチャンあるか」と思っていたもののダメ。
「ダメ」と言われた夜は、朝が来るのが怖い。
夫の寝息にも気持ちはざわつく。
数字を数えて、気持ちを落ち着かせ、何も考えないように眠る。
朝起きると、リビングのエアコンはつけっぱなし。
台所には黒アリの行列(これは今年の夏頃から、最近減ってきたと思ったのに)。
2人分の麦茶を入れたとき、なんだか気持ちもあふれてきて、ついコップを横にする。
麦茶を拭きながら、夫が「どうした」と起きてきた。
どうもしないぜ。イライラしてるだけだぜ。
ああ、なんだろう、毎月。と思っていて。
子供を作りたいと思ったのが遅すぎたのか。というような問答は常にしてしまう。
とりあえずは、夫が太り過ぎていて、ものぐさになってしまい、機動力が落ちていることが原因と思っている。あのデブ野郎。バイキングにばかり行きたがる。
ご褒美をあげられるほど、あなたは家で働いていない。会社からは相応の給料をもらっているだろう。
ソファーでトドのように横になりスマホをいじり、食事の量が少ないとアイスとスナック菓子をまたトドのようなポーズで食べ、大きく垂れたお腹を持ち上げる。
本当に、何が楽しくて生きてるのだろう。自分が醜くなっていく姿をなにも思わないのか。
じゃあ、なんで結婚していられるの、というと、本当はどうでもいいのだ。
ただ、今はイライラしているだけ。
人工受精って、だれでもやってもらえるかなあ。性行為なしで子供ができるなんて、夢みたい。いや、それが現代医療。
許可降りず
昨日の急な排卵日、夫に「今夜」と言ったら、案の定、許可降りず。
「1週間前から予約してるって言ってるでしょう?」と言われる。
知ってる。私も、1週間後だと思っていた。
夫の好物の炭酸水とスナック菓子を買って置いておくも、単に食べて終わり。単に食べて終わり。単に食べて終わり。単に食べて終わり。
食べたあとの袋を見るのも嫌で、ゴミ捨てに行く。他にも食べかけのお菓子なども全部入れて捨てる。冷凍庫の食べるか悩んでいたものも捨てる。自分のこの葛藤も捨てられればいいのに。
夫がたくさん食べてソファーに横になってスマホをいじってる姿を見ると、頭がおかしいのではないかと思う。気持ちが悪いと思う。自分の肉を毎日眺めて、気持ち悪くならないのか。昔の筋肉や細さを思い出して憂いたりしないのか。これは子供を作るときに悪影響ではないのか。
しかし思う。自分を変えられるのは自分しかいない。他人が言ったって無駄なのだ。このデブに対して、私ができることは、文句を言われても私が食べたい粗食を作ることと、自分のしたいことは一応伝えることだ。食欲の歯止めの効かない人に、たくさんの料理(こってり&ボリューミィ)を作る気持ちにはならない。そろそろ死ぬんじゃないかと思う。
私も自分の体をコントロールできてない、ということは一緒なのだ。どうにもならないことも、ある。
ただ、子供はほしい、できれば葛藤を避けて。
次に病院に行くときは、体外受精などの方法を聞いてみたい。私はもう、つらい。
【不妊症検査 2回目】通水検査はできませんと言われる
※1回目はこちら
ninnin-ninkatsu.hatenablog.com
2回めの通院の今日は、通水検査の予定でした。
通水検査とは、子宮の入口からブドウ糖と抗生剤を注入して、卵管のとおり具合や子宮内膜に筋腫やポリープができていないか診察します。
殺菌作用もあります。(中略)一般的に通水後は、妊娠しやすいと言われています。
通常2~3分で終了し、無痛或いは軽い月経痛程度の痛みがありますが、痛くないように工夫しているので、よく言われている激痛を伴うことは全体の1割もありません。激痛を伴う方は卵管の通過障害が疑われます。
(I婦人科の資料より)
このような検査。もしも、激痛を伴ったらどうしよう、と、昨日からドキドキでした。
しかし、結局やらないで帰ることになりました。
その理由は、また説明しますが、一旦、時系列で今日の診察内容を紹介します。
不育症の検査の採血
病院に到着、今日は通水検査メインですが、不育症の検査のためまず採血。
結果は1週間後にわかる。
前回の月経中のホルモン検査結果
前回、採血した結果が先生にとって「?」だったので説明があった。
- 卵胞ホルモン(E2)
- 黄体化ホルモン(LH)
- 卵胞刺激ホルモン(FSH)
- 黄体ホルモン(P4)
- 乳腺刺激ホルモン(PRL)
- 男性ホルモン(TES)
検査したこれらすべて正常値。
ただ、先生のチェックが入ったのは以下の2点
「多嚢胞性卵巣(PCOS)の疑いがある」とのこと。
生理不順ではないか、と聞かれ、「夏は調子いいけど、冬は40日感覚が空くとかある」と要領を得ない返事をして、さらに「?」という反応をされる。
そして内診、と言われる。
すでに排卵日が近い
超音波検査をすると、「子宮内膜が厚くなっている」「排卵日ではないか」「腫瘍があるけど、これは大丈夫」、最後に「通水検査できないね」とのこと。
「ひゃー」と私は言った、多分。私のドキドキが、どこかへ。
確かに、今朝ドロっとしたおりものが出て「今回は体の調子がいいのか、排卵日みたいだな」と思った。そうですか、ルナルナは来週と言っていたのに。
尿検査をして排卵検査することになった。(さっきトイレに行ったからそれも不安に)
今日、性交渉してください
無事に尿検査を済ませ、再度診察室へ。
結果、「排卵日です」と。
「ただ、多嚢胞性卵巣の人は、排卵検査薬がいつもピーク値の場合がある。でも、超音波検査の結果もあるので、排卵日と考えていいでしょう。」
「今日、性交渉してください。」
ああ、夫の準備が整っていない。どうしよう。と思った。
先生には「おりものが排卵日近くと似ていた」「アプリでは排卵日は来週だった」「子供できるんでしょうか」「流産しませんか」とおろおろ伝えて、今日の診察は終わった。
(先生は「別に問題はないよ」と言っていた。それは「わからない」ってことと同義、と思った。別に希望を持たせたわけでなく、神のみぞ知る、ということだと思う。)
ただ、今日が排卵日らしいことは確か。
ドキドキの通水検査もせず、次に来たときに行うはずの超音波検査も終え、次の予約はしないまま、1万円(不育症の検査)払って病院をあとにした。
次にまた生理が来たら、お世話になる。
ドドールでミラノサンドAを食べても、どんより
なんだかモヤモヤした気持ちになっても、お腹はすく。
夫に「今日、よろ!」と言うのは嫌だな。
もう、今月はダメってことにしたらいいのかな。
明日でも大丈夫かな。
モヤモヤしながら食べるミラノサンドは温かく、以前行ったドイツ旅行で食べたパンは固くて冷たかったな、と思った。また食べたい。ドイツ行きたい。お金も時間もないけど。
本当は美術館でも行こうと思っていたけれど、なんだか気持ちがどんよりして帰ってきてしまった。
今夜、どうしよう。
ありえない未来は、今の生きる糧
今年の2月に子供が産まれていたら、とよく考える。
でも、実際、産まれていない。
ありえない、意味のない未来を考える、無意味な時間。
しかし、これが生きる糧にもなっている。
あのとき流産していたから、ストレスのない仕事を選べるようになったと思う。
子供ができたことを会社に言って(派遣会社の担当に言って)、人事で話が止めてもらうはずが、なぜか小さな社内に広がっていて、こそこそおめでとうと言われ、流産したあとに気まずくなった、あの時期がなければ、もしかしたら今はない。
あのとき流産していたから、他の子供がいない人やできなくて真剣に悩んでいる人の気持ちも少しわかった。
(逆に子供のいる人が憎くなってしまったけど)子供がいない人にはいろいろな理由があったり、できない理由がわからなくて途方にくれている人もいる。そういう人へ、ズカズカとアドバイスをすることが逆につらい気持ちにさせることかもわかった。
あのとき流産していたから、出会えた人もいる。
時間がある程度自由に使えるようになって、これまで会っていなかった人にも積極的に会った。近くのボランティア団体に顔を出すようになり、恩師のお葬式に出て、大学時代にお世話になった人に会い、元上司に会い、祖父のお通夜・お葬式に出て。出会いも別れも、この数年できなかったゆとりから生まれたものだった。
1年前にボロボロだった気持ちは、実はそんなに変わっていないけれど。これまでできなかったことができたこの1年は、有意義なものだったと思う。
この体験から、これから大切にしていきたいことは、
①自分が快適になる方向に進むこと。 ②自分の価値観を押し付けないこと。 ③会いたい人には会うこと。
もちろん、子供のほうもがんばります。
はいはい、友人よ、おめでとう
こうやって、他人の幸せを素直に喜べない自分をもどかしく感じるわけです。
友人(女性)に子供が産まれたことをfacebookで知ります。
遠くに住んでいる友人で、1年に1回くらい共通の友人の飲み会に誘われて会うことがあるくらいです。
多分、私はもうこの友人たちと会わない。
「あなたは?」と聞かれるから。
自分の子供ができるまで会わない。
か、自分の気持ちに決着がつくまで会わない。
facebookは残酷だ。
知り合いとわかるからこそ、残酷だ。
不特定多数に幸せをまきちらす、ああ、振りまく?
拡声器で叫ぶように。
年賀状はいいのだ。心の準備ができるから。
だって、結婚・家建てた・子供できた・成長したの1年のトピックが凝縮されているハガキが届く、わかっている。
facebookは背後から驚かされるように情報がやってくる。
現に驚いたもの。私より若くて、1年か2年前に結婚して、結婚したてのときは「子供ね~どうなるかな~」とか言っていた。
あの子が知らぬ間に、妊娠して出産していた。
あ、でも、年賀状も同じか。
違いは季節構わずに報告があるか、年に1回まとめて報告するかどちらか、ということか。やっぱり、心の準備の問題。
不安だけど幸せ。味わってみたいものですね。
そして、facebookのフォローをそっと外す。
(私はfacebookでの「子供誕生」はやめよう。報告の意味がないから。子供ができたからって、何だというの。忘れないで、未来の私。)