ありえない未来は、今の生きる糧
今年の2月に子供が産まれていたら、とよく考える。
でも、実際、産まれていない。
ありえない、意味のない未来を考える、無意味な時間。
しかし、これが生きる糧にもなっている。
あのとき流産していたから、ストレスのない仕事を選べるようになったと思う。
子供ができたことを会社に言って(派遣会社の担当に言って)、人事で話が止めてもらうはずが、なぜか小さな社内に広がっていて、こそこそおめでとうと言われ、流産したあとに気まずくなった、あの時期がなければ、もしかしたら今はない。
あのとき流産していたから、他の子供がいない人やできなくて真剣に悩んでいる人の気持ちも少しわかった。
(逆に子供のいる人が憎くなってしまったけど)子供がいない人にはいろいろな理由があったり、できない理由がわからなくて途方にくれている人もいる。そういう人へ、ズカズカとアドバイスをすることが逆につらい気持ちにさせることかもわかった。
あのとき流産していたから、出会えた人もいる。
時間がある程度自由に使えるようになって、これまで会っていなかった人にも積極的に会った。近くのボランティア団体に顔を出すようになり、恩師のお葬式に出て、大学時代にお世話になった人に会い、元上司に会い、祖父のお通夜・お葬式に出て。出会いも別れも、この数年できなかったゆとりから生まれたものだった。
1年前にボロボロだった気持ちは、実はそんなに変わっていないけれど。これまでできなかったことができたこの1年は、有意義なものだったと思う。
この体験から、これから大切にしていきたいことは、
①自分が快適になる方向に進むこと。 ②自分の価値観を押し付けないこと。 ③会いたい人には会うこと。
もちろん、子供のほうもがんばります。