不育症の検査は問題なし
先月行った不育症の検査の結果を聞きに行った。
特に異常なし。
がんばろう、と言うしかない。先生もコメントしようがないという感じだった。
できることを願いつつ、できなかったときのために自分のやりたいことをやる。
それだけだ。
子供がいない未来もありなんだろうな
結局行かなかった婦人科。
今日行かなかったので、今月はフリーダム。
来月、また生理が来たら行くことになる。
ワンチャン来ないことを願う。
ワンチャン来ないことを願う。
いつだって願っているんだ、私は。
ただ、もしも子供ができなかった未来を考えてもいる。
先日、体の不自由な友人から手紙の印刷を頼まれた。
内容は知り合いの団体に感謝を伝える手紙だ。
その団体は今は経営がうまくいっているが、もともとは1人の女性が立ち上げ、その方は志半ばで亡くなってしまった。
もう亡くなってしまったが、その志が今も息づいていること、そしてその女性が、お母さんのような存在として生きている、と。
その女性自身は病気で、(恐らく結婚もしていなくて)子供もいなかったけれど、「お母さんのような存在」と今も言われている。
それって、すばらしいことだな、と。
別に団体を立ち上げることがすばらしいのではなくて、誰かのために働きかけて、そして間接的に幸せや喜びを感じさせていることがすばらしい。
私は自分の子供に固執しすぎていたのかもしれない。
もしかしたら、誰かを幸せにすることで、自分も満足できるのかもしれない。
・・・いや、子供は欲しいけれど。
ただ、生き方はそれだけじゃないんだ、ということ。
昨日、義弟夫妻と子供が来て、義母と食事に出かけた。(私は仕事が忙しいと断った。)
敬老の日だったからかな、と後で思った。
あの人達もじいじとばあばなのか。まだそんな年じゃないと思ってしまうけれど。
私も去年生まれていたら、そんな気遣いしていたのかな。
月曜日は祝日
病院に行こうと思っていたら月曜日は祝日でお休み、次の日は私に予定がある。
私の行く婦人科は生理開始2~5日に初回受診して、そのあと1週間おきくらいに段階的に診察を受ける。
月曜日が4日目、火曜日は5日目だけど午前中に予定がある。
うーん。
行かなかったら、この1ヶ月が無駄になるのか?
いや、そんなことはなくて。
この1ヶ月でタイミングが合ってうまく行けばいいのか。そんな簡単にうまくいくのか。病院で指示されながらの方がうまくいくのでは。通水検査してもらえると、さらに子供はできやすくなると言うし。
うーん。
まずは不育症の結果が知りたいなあ。ああ。
1日目は着床出血だと思う日
1日目だけはどうにもならない。期待してしまう日。
ほぼほぼダメってわかっていても、期待してしまう日。
前々回からどんどん早まる生理周期。
32日→29日→27日は、誤差なのか。
健康になっているのか。
次回もこんな感じなのか。
予想しにくいなあ。
月曜日に病院に行くことになる。不育症の結果ももらえるだろう。
うーん。なんだろうな。
自分の体が一番、わからない。
わかるよ!「友人が楽に社会復帰しようとしているのが許せない」
この理恵さんの気持ち、超わかるよ!超わかるよ!!
そして子供がいる女性って、こういう人、多い!多すぎる!
だけど、核心を突いてはいけない、自分に負い目(子供がいない)のようなものがあるから言えない気持ち、超わかるよ!
育休を取っている間にofficeのバージョンが上がってオタオタしてるのを見ると、
「勉強しとけよ」
と思ったりした!
市の、子育て後の社会復帰を考える女性のための講座でも、仕事に対して、
「スキルがない」
「なにかしたいけどお金ない」
「勉強するのが嫌だ」
「子供が心配」
「でも、外に出たい」って、言い訳ばっかするな!
お前の着てる服は、今年のトレンドじゃないか、おめかしするお金あるじゃないか、外に出る時間あるじゃないか、と思った。
一歩踏み出せないのは、プライドが邪魔してるだけなんだよ!
と、子供いる人に言っても「あなた子供いないじゃない、私の気持ちなんてわからない」と言われそうだからなにも言えないよ。
新手のマウンティングか。トラップか。わかるかよ、お前らの気持ちなんか。
だから、つべこべ言わずに、履歴書を書いて出せばいい。「これから頑張ります」って言えばいい。スキルがあってもなくても、会社が判断する。
実際に自信を持って働き出しても、思ったよりできないこともある。逆にできない状態で入っても、思ったよりもできることがある。できなかったら足りない部分を勉強すればいい。
実際の職場では、お金をかけて勉強しても、あまり活用できないこともある。Excel使うといっても、SUMしか使わないこともある。
結局、仕事しようか悩んでいる人は、時間にもお金にも余裕がある人だ。
時間がなければ仕事しないし、お金がなければ仕事せざるを得ない。
結論は「なにも言うな、働きたければ働いてくれ」。
理由を言わずに休めばいいのに
私は在宅ワークなので結構自由に休んだり仕事してる。
でも、会社勤めしてたとき、「休むことは悪」という感じだった。
「日本人は働きすぎ」「モーレツ社員」など、文化や歴史的な事も含めて問題はあるけれど、その中の1つに「育児を理由に休む」人がいると思う。
いや、全然いいのです、育児を理由に休むのは。
でも、申し訳なさそうに、そして理由をしっかり伝えて(子供の体調不良、保育園や学校のイベントなどなど)有休の申請をする。
理由を伝えないと休めない会社もあると思う。(私が勤めていたところだと「自己都合」と言えばOKだったので、いい会社だったと思う。)
育児は「自己都合」ではないのか。なぜ「授業参観なので休みます」とわざわざ言うのか。子供の成長を祝ってほしいのか。
(特に女性は)理由がないと休めないような気がしてしまうじゃないか。
子供のいない人の場合、平日に休まなければならないイベントは少ない。
急に病院に行くときに「病院に行きます」というのは、「急で申し訳ない」「明日も休むかも」などを伝える意味もある。
なぜ、先の予定を、実に個人的な予定を細かに伝えるのか。申し訳なさそうに。
こういうとき、「育児はどこか他人事」に見える。「私の予定で休むわけではない」と言っているようだ。
でも、「子供が」「子供が」と言っているけれど、それはあなたの予定であり、自己都合だ。
なのに、不慮の事態や社長の指示で動くかのような、どこか「しかたなさ」を感じる時がある。
確かに、子供のいない私には「しかたなく」休む日はない。でも、だから休まない、とのはおかしいと思う。
彼女らがしかたなく休んだときに、理由がなくて気軽に休めない私たちは働いている。「ずるい」という気持ちを持ちながら。単なる妬みだけど。
でも、結婚しない、子供を作らない自由もあるのに、「子供がいるから休む(しかたないけど休んでいる)」ように休むなんて、ずるい。
楽しんで、育児をしてくれよ。